Wednesday, August 30, 2006

ふるさと アイルランド


ほぼ毎年訪れているせいで、地元に馴染みになってきたし、実際の親戚もいるわけで、まるでほんとのふるさとのように感じられるアイルランド。この土地に愛着が湧いてきたということもありますが、この地のふるさと度の高さのせいもあると思います。
いかにも田舎然とした、帰ってくる地というか。
酪農の牧草地が広がっているだけの何も無い素朴さ。人々の気取りのない親切さ、質素な食べ物、敬虔な信仰心など、純朴な父母の愛を思わせるものがあります。
アイリッシュ系アメリカ人にとっても、ここは心のふるさとでしょう、イメージとして。
毎週日曜には教会に出掛け、教会は地域の社会交流の場のようなものです。子供の数が比較的多いので、家族や親戚が大きくなり、ひいては結婚、葬式、出産などの行事が目白押しとなります。
今回は結婚式にもお呼ばれしていました。
おなじみの親戚や近所の人たちの顔が並び、それに結婚相手の親戚や友人が加わり、たいそうな人数です。平均的な招待者数は200人程度とのことです。
主人に言わせれば、結婚式も葬式もアイルランドではおんなじようなもんだそうで。違いは、葬式では酔っ払いの数が一人少ないことだそうです。

Tuesday, August 29, 2006

Promenade of Salthill in Galway, Ireland


ゴールウェイはソルトヒルの遊歩道です。
曇り空ながら、時々日が差すおだやかなお天気だったので、家族連れやジョギングをする人などで賑わっていました。これはこのあいだの土曜日かな。
パワーウォーキングが流行っているようです。
ここをぶらぶらと散歩していたら、ドイツでの知り合いのカップルにばったり出会いました。向こうもアイルランド人なので、そういうこともあり得るとは言え、お互いにびっくり。
世界は思っているより狭い。

Monday, August 28, 2006

ゴールウェイ・ベイ


大西洋側に位置しているゴールウェイの街には、ソルトヒルと呼ばれる海岸に面した地域があります。砂浜と岩浜と両方あり、夏には海水浴もできるわけですが、なんだか寒そう。
遥かにゴールウェイ湾が広がっていて、潮風もさわやか。
散歩や休憩に訪れる人はたえません。

向こうには遠く大西洋が臨めます。海の見えるところっていいですね。
このあたりは牡蠣の名産地。9月にはオイスター・フェスティバルがあり、牡蠣の殻開け競争などの催しも開かれます。ムール貝もおいしいです。

Sunday, August 27, 2006

アイルランドに行ってました


しばらくアイルランドに滞在してました。主人のふるさとなので、毎年のように夏には来てますが、いつもながら涼しくてお天気も雨がち。
長袖のシャツやカーディガンなどは必携ですし、雨風対策にフード付き防水ウィンドブレーカは重宝します。暑い夏好きとしては、ここで夏を過ごすのはちょっともったいないような気もしないではないです。
アイルランドは一昔前までは比較的貧しい国で、EUからの支援金を受けていた(それでもって道路などを整備した)のに、いまではEU第二の裕福な国になってしまっています。昔は大量の移民をアメリカやオーストラリアなどに出していたのに、いまや若い人は国に留まり、移民先から帰国する人々も多いとか。
若い人口が多いのは老人にもやさしいですよね。カトリックのせいでそもそも子だくさんだし。住む土地もまだまだいっぱいあるし、国の発展する余裕は充分ありますね。
なんと、いまでは移民を受け入れている国になっているようです。ポーランド、ブラジル、ポルトガル、リトアニアなどから移ってきているとのこと。
私たちもこの前来た時、ダブリンの街中で道をきいたら、4人中3人が英語のおぼつかない外人でした。

アイルランド共和国、西の大西洋側の街、ゴールウェイ郊外が主人のふるさと。さっそくお墓まいりに。
くずれた教会あとに、古くからのケルト十字架が立ち並んでいます。この地域の地名になっている、由緒ある教会だったようですが、何世紀前からかくずれたままにたたずんでいます。こういうの、日本では考えられないことですが、ここでは普通にあちこちに廃墟になったお城とか家とか教会の建物があります。そう簡単に取り崩してはいけないようです。
山や森があまりなく、なだらかな丘陵地帯が延々と続く風景は典型的。羊や牛や馬がのんびりと青々とした草を食んでいます。雨が多いのでこの島は緑でいっぱい。

Monday, August 14, 2006

お盆なのですね

ああ、お盆なのですね。終戦記念日もあした。
こういう日本にいたら当然肌身で感じるはずのことが、ポーンと抜けているわけです。
日本人社会とも接点がほどんどないもので。
季節の行事といえば、こちらでのことはもちろんわかるのですけど、日本でどうなっているのか、というのがどうもわからなくなっております。
いや自慢してないです。日本の新聞とかインターネットとか見ればいいものを、そういう努力が足りませぬ。
こちらでは8月と言えばバカンスの季節で、地元の人は出掛けてしまって街が比較的閑散としてしまいます。替わりに旅行者の姿が増えます。いつもいっぱいの路上駐車スペースも空きがたくさん出ます。
子供のいる人は、学校の夏休みに合わせて休暇を取り、家族で何週間か出掛けるのが普通。夏休みの間は学校の行事も無く、職場でも休暇の消化は当然の権利として、かわるがわる長い休暇を確保します。而して親も子もすべてを忘れるべく、海外の海辺などへと出掛けていくわけです。ドイツ人は海外旅行が大好き。ちょっと日本人の海外旅行のしかたと違いますが。一般的には2-3週間ひとところにいてのんびり過ごし、そこを足場に自分の足であちこち見物に行くといったところでしょう。
こちらは8月にしては寒く、きょうも日中の最高気温は21度くらい。ドイツ人は過ごしやすくなって良かったと言ってます。

Sunday, August 13, 2006

T.Rex

70年代のブリティッシュ・サウンドの雄、T.レックスでございます。
ティラノザウルス・レックスからのパーカッショニストSteve Tookが去り、新相棒のMicky Finnが入り、新しいデュオとしてしばらく活動した後、ベースとドラムスが加わって4人編成となりました。
バンド名も長くてつづりにくかったTyrannosaurus Rexから、短縮形のT.Rexとしました。
この写真の4人とも、若くて初々しいですねえ。
1971年には稀代の傑作、Electric Warriorのアルバムが出されます。(邦題「電気の武者」)
文字通り英国の音楽界を席捲することになります。地理的に近いヨーロッパ大陸でも、ドイツ、フランスなどでTレクスタシーを巻き起こしていきました。
これがアメリカでは成功しなかったんですよね。こんなところにも文化の違いを感じます。
ヨーローッパに住むようになってから、アメリカとの違いを実感します。
ともあれ、彼らの全盛期の作品は時代を超えて今も燦然とした存在。全く古臭くなってないです。

Saturday, August 12, 2006

Tyrannosaurus Rex

ヒッピー、アングラの世界でアコースティックな音楽活動をしてたMarcとSteve。ふたりはアングラのダーリンと呼ばれるように、ヒッピーに人気がありました。
エレキギターを手にし、メンバーも入れ替わり、一気にポップ音楽のアイドルへと変身を遂げたのが1969年後半から70年。T.Rextasyの嵐が吹き荒れました。
その後、ティーンのアイドルから脱皮するかのようにだんだんヘビーになっていったMarc。
でも、1968年の21歳のMarcはこのようにまぶしいルックスです。Steve Tookとふたりのティラノザウルス・レックスの時代です。
当時は外国人に興味持つなど考えも及ばず、その頃私が何を追ってたかというと、フォーリーブスかな。(冷)
そのあとは遅ればせながらビートルズに。ビートルズの音楽は確かにすごくいいけれども、あんまり色っぽくないですね。
T.Rexの音楽は今聴いても色褪せずセクシー。個性的な音もさることながら、Marcの詩がまたよいのです。これは、今だからわかるのですが。

Friday, August 11, 2006

イギリス系には惹かれる

自分で載っけておきながら、開けた時一番上にマーク・ボランの写真があると、思わず見とれてしまう私っておばか。
いまさらなんだけど、どうも昔からイギリス系の男に魅かれる傾向があるようです。
もっと突っこんで言えば、フランス人やロシア系にも惹きつけられるものがあるのですが。スポーツとか見ていていいな、応援したいなと思うと、多くがフランス人やロシア人だったりするので。
だめなのがドイツ系。住んでいながら全然いいと思ったことがない。俳優や歌手にも好みと思う人がいないです。 女性はフランス人が圧倒的にすてきだと思う。冷たい感じのドイツ美人モデルとかはあんまり…
イキリス島国の、あの言葉とかユーモアの質とかが好きなのかもしれない。ユーモアのレベルがしっくりくると、安心できるのでしょう。(だからドイツ人とだめなんだわ。)主人がアイリッシュなのも頷けるというものです。

さて、十代の頃見知っていたマーク・ボランといえば、T.レックスのリーダーで、LPのジャケットとか音楽雑誌で写真を見、ラジオやLPで音を聴いていたのみでした。MTVなんて無かったもの。
奥手のティーンエイジャーとしては、こんな写真を見て、「えげつな…」と思っていたわけです、その頃。

Sunday, August 06, 2006

Marc Bolan

Marc Bolan.
He is my idle, my super hero, and my love in a certain way.

Although he is dead almost for 30years, his image, music, looks, lyrics, performances, and and and... are still there vividly around us.
There is something special about him, that haunts me.
He was a quite character. The more I learn about him, the more I am fascinated by him.

日本語表現が自分にとって一番と言っておきながら、愛情系のことを述べようとすると、英語になってしまうのも不思議。
実際の私生活と関連しているのかも。
やはり文化が内部でキメラ状になっているのか。

Saturday, August 05, 2006

8月に入って涼しくなってます


ここ3-4日、最高気温が22度台で、かなり涼しくなってます。今日は26度近くまでなったようです。実は夏は暑い方が好き。湿度が低いのでそう言ってられるのかもしれませんけど。
だって、あんなに暑かったのにこう涼しくなると、もう夏が終わりなのではないかとさみしくなるじゃないですか。このまま秋になってしまうのではないかと不安に駆られます。秋になったらすぐ冬だもの。…って脅迫観念か。
フランクフルトの中心部にあるハウプトヴァッヘ(Hauptwache)は、街の中心のランドマークであると共に市民の憩えるカフェにもなってます。その昔は監視所兼監獄の役割をしていた建物だそうですが、今はみなが外に並んだテーブルで、お茶を飲んだり日光浴を楽しんだり。
本日のハウプトヴァッヘ正面でした。

Friday, August 04, 2006

日本語で元気挽回

自己表現が一番良くできるのはやはり母国語。
細かいニュアンスも含めて言いたいことがすんなり書ける。
「書ける」としたのはですね、話す方が少し淀みが出るようになったかな、という気がしてきているので。困ったことですが、仕方ないです。
毎日何時間も過ごす職場では全部ドイツ語だし、家に帰って来ても主人と英語だし。友人たちも共通語といえばドイツ語。日本人の友人とはそんなにしょっちゅう話す機会がなくて。
先の週末に日本から友人のWさんがドイツ出張の折、訪ねてくださいました。1年振りくらいにお会いできて、しかも日本語でお話できてうれしかったです。
彼女もヨーロッパ暮らしを長く経験しているので、文化土壌が同じという感じでお互い良く理解できます。(私の日本語、ヘンだったでしょうか。)
彼女の話には、なるほどと思わせられることが度々あり、です。
ひとところにしか住んだことのない人には、他の文化のことを(見知っていたとしても)なかなか体感できない。なので、異質なものを同化させようと働きかける。そこに摩擦が起きる。ドイツやオランダにいた時は、その土地の人から違う目で見られていたと感じていた。差別のように思ったことさえあった。日本に戻れば、日本の人たちから「あの人何?」みたいに言われてしまう。しかし、日本に暮らしているドイツ人と接すると、理解しあえる空気を感じる、と言うのです。うーん、おもしろい。いいところを突いている。
このブログを始めたのも実は、日本語で言いたいことを表現するのがストレス解消になるから。
知っている人みんなへのお手紙、という感じで。知らない人でも、興味を持ってくださる全員の方に発信しているつもりです。