トリビュートに行くために、いくつか気合を入れてTシャツをつくったんです。当地に行ってみたら、みなさん気合が入ってたようで、さまざまなTeeを見ました。
上から下まで全体にデザインがほどこしてあるのなんて、どこから手にいれるのかしら。
私たち一行も写真撮られたりしました。ドルトムントからの3人も手作りの着てましたし。 これは最後に作ったやつ。絵がいいでしょう。若いMarcの口元が特にいいわ。
London Bop と呼ばれるボラン・ディスコの雰囲気をみてください。ちょっとビデオの質はなんですが、ライブの音はよかったんです。そして、中年と言えどもがんぱってるでしょ。バンドはオランダ出身の、Children of the Revolutionです。
日本育ちが今住んでいる所になかなかしっくりこず、時折文化習慣の違いに未だに悩まされ、日本人のままドイツ人にも同化できず、これ何?と思い続けた日々。しかし! 近頃、一ヨーロッパ人としてのアイデンティティーを確立しつつある私。
Sunday, December 30, 2007
Saturday, December 29, 2007
遅まきながらロンドン・レポート 続き
翌日には自動車事故で亡くなった事後現場を訪れました。墓地がロンドンの繁華街から見て北の方にあるのに対して、ファンの間でThe Tree と呼ばれるバーンズ地区の事故現場は南にあります。
最後にマークが住んでいた高級住宅地Putneyにあるお家に向かう途中、あとほんの少しというところで事故がおきました。こんな見通しがいい道路なんですよ。やっぱり運転していた彼女は酔ってたんでは。 この人が集まってるところに問題の追突した木があります。
常に誰かが来ているといわれるこの木には、この日もお花や写真やメッセージ・カードが添えられていました。たくさん人が来ていて、ファン交流もできました。アメリカ、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパ各国からの人達とも会えて、日本からの数人も。
15日の夜にはトリビュート・コンサート。2千人収容の劇場がいっぱいになって、ダフ屋もでたくらい。これがなかなかよかったんです。生前マークも出演したステージだし。とりまとめに出演に大活躍のダニエルズ氏に拍手。あ、彼にも墓地の前で出会いました。遠目にはマークかと思った。
T.Rextasyような真剣なトリビュートバンドが存在するというのも、T.Rexファンはそう簡単には死に絶えないということですな。
イギリスはさすがに忘れてなくて、この時期新聞にも記事が大きく載ってたし、雑誌の特集になったりしてました。
16日の夜には毎年恒例のBopがクラブ・エクストリームであり、これは個人的にハイライト的にすばらしかった。こんなの毎年参加したいくらい。
ディスコといえども、来てる人達は音楽目当てだからもうライブバンドの前に群がって、一緒に歌うことといったら。なにしろ知ってる曲ばっかりなわけだし。みんな次ぎの日には声からしてましたね。
若いバンドがカバーしてるのですが、やっぱりライブはいいですね。当時からのファンと言えば年齢的にもね、いってるわけですが、みんなのってるでしょ。
最後にマークが住んでいた高級住宅地Putneyにあるお家に向かう途中、あとほんの少しというところで事故がおきました。こんな見通しがいい道路なんですよ。やっぱり運転していた彼女は酔ってたんでは。 この人が集まってるところに問題の追突した木があります。
常に誰かが来ているといわれるこの木には、この日もお花や写真やメッセージ・カードが添えられていました。たくさん人が来ていて、ファン交流もできました。アメリカ、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパ各国からの人達とも会えて、日本からの数人も。
15日の夜にはトリビュート・コンサート。2千人収容の劇場がいっぱいになって、ダフ屋もでたくらい。これがなかなかよかったんです。生前マークも出演したステージだし。とりまとめに出演に大活躍のダニエルズ氏に拍手。あ、彼にも墓地の前で出会いました。遠目にはマークかと思った。
T.Rextasyような真剣なトリビュートバンドが存在するというのも、T.Rexファンはそう簡単には死に絶えないということですな。
イギリスはさすがに忘れてなくて、この時期新聞にも記事が大きく載ってたし、雑誌の特集になったりしてました。
16日の夜には毎年恒例のBopがクラブ・エクストリームであり、これは個人的にハイライト的にすばらしかった。こんなの毎年参加したいくらい。
ディスコといえども、来てる人達は音楽目当てだからもうライブバンドの前に群がって、一緒に歌うことといったら。なにしろ知ってる曲ばっかりなわけだし。みんな次ぎの日には声からしてましたね。
若いバンドがカバーしてるのですが、やっぱりライブはいいですね。当時からのファンと言えば年齢的にもね、いってるわけですが、みんなのってるでしょ。
Friday, December 28, 2007
遅まきながらロンドン・レポート
9月16日は1977年に亡くなったMarc Bolanの30回目の命日で、かつ1947年生まれだったので生誕60年にあたりました。ということで、世界からのファンがロンドンに集うことになりました。ネットで交信していた方々とほとんど初めて顔を会わせるチャンスでもあり、また世界中から一堂に会するということでも大事なイベントでした。周到にお休みを用意して、連絡を取り合い、必要な準備をして出かけました。
ヒースローから宿のB&Bにたどり着き、そこの朝食のテーブルで、ドルトムンドからルートン空港に着いた3人のドイツ人ファンと合流。早速出かけたのはマークが眠る墓地、ゴールダース・グリーン。みんなここに来るのは初めてだったので興奮してました。大男のドイツ人が涙を見せたりして。
ヒースローから宿のB&Bにたどり着き、そこの朝食のテーブルで、ドルトムンドからルートン空港に着いた3人のドイツ人ファンと合流。早速出かけたのはマークが眠る墓地、ゴールダース・グリーン。みんなここに来るのは初めてだったので興奮してました。大男のドイツ人が涙を見せたりして。
入り口には黒いのと、となりの丸い白いプレートがマーク・ボランの名を示してます。ここの墓地はヘッドストーン等は一切なくて、亡くなった方達はすべてなんらかの植物の根元にねむってます。バラがほとんどですが、木とか他の植物もみられました。
前から訊きたくていたことを、墓地の職員に直接尋ねることができました。遺体は火葬されるのですが、そのあとの遺灰の行方です。遺灰は、そのファミリーの名前の書いてある植物の根元に埋められるそうです。火葬時の温度が高温なので、もうご遺灰はすっかり焼き尽くされて、植物にはなんの栄養分にもならないそうです。
一面にバラが咲いていて、美しい墓地だなあと思いました。同じバラの足元にはマークのご両親も眠っています。小さなネームプレートにMark Feldと名があるだけで、教えてもらわなければとても発見できません。この白いバラの木がフェルド家のバラです。
16日にはお兄さんなど家族やファンも含めてメモリアル・サービスが行われ、たくさんのお花やメッセージがたむけられていました。最寄駅からしてファンがあふれていて、感動ものでした。着てるものでだいたいわかっちゃうんです。T・RexのTシャツとか、ラメのジャケットとか、紫のボアとか。
Thursday, December 27, 2007
休日の過ごし方:You Tube
久々にネット・サーフィンしてたら、You Tube で懐かしい映像の数々に見入ってしまいました。ネットにはショッピング等で散々お世話になってますけど、好きなときに好きな動画を気ままに見られると言う点では、テレビなどよりもずっと使えます。それに、昔の映像とか、普通では放送してもらえないような内容もあるわけですし。
思わず見入ってしまったのは、熱唱する若き玉置浩二さん。ただ歌ってるシーンをアップに撮ってるだけなのに、ウーン聞かせるなあ。リンクしておきますね。
Please click here to listen to Safety Zone Band in '80s : 安全地帯
Wednesday, December 26, 2007
第2のクリスマスの日
Tuesday, December 25, 2007
この秋はあっという間に
楽しみにしていた9月のロンドン行きが終わると、あとは時が過ぎるのがとっても早かったです。9月から10月にかけては4年に一度のラグビーのワールドカップがフランスで開催され、それも見たかったものの、ここドイツでは不人気のためテレビでも滅多に放送されず、かつ時間も無かった。まだいくつかハードディスクに録ってある試合を見れないままになっています。これはこのあいだの冬季オリンピックの二の舞では。ほとんど全部録ってあったバイアスロン、見切れないままでした。
10月末にはミュンヘンで、ちょっとした大仕事があって緊張したし。これはですね、ドイツ語・英語・日本語を駆使する必要があって、いたらないところを痛感するばかりでまったく。もっともこれは自分の自由時間内にするご奉仕でしたけれども。
仕事先の会社でも8月9月に重大転換がありまして、一従業員としてもこの大変化に対応すべく、いままで突っ走ったという感じでした。これさえ無ければ11月末ころには休暇を取って日本に帰国してたのに。今年の有給休暇は消化しきれておりません。(これってドイツ企業では利益を圧迫するので歓迎されません。)
わりと暖かな秋でしたかしら。うちの裏庭に出没するりすたちです。動きがすばやくて、デジカメで追いきれませぬ。
10月末にはミュンヘンで、ちょっとした大仕事があって緊張したし。これはですね、ドイツ語・英語・日本語を駆使する必要があって、いたらないところを痛感するばかりでまったく。もっともこれは自分の自由時間内にするご奉仕でしたけれども。
仕事先の会社でも8月9月に重大転換がありまして、一従業員としてもこの大変化に対応すべく、いままで突っ走ったという感じでした。これさえ無ければ11月末ころには休暇を取って日本に帰国してたのに。今年の有給休暇は消化しきれておりません。(これってドイツ企業では利益を圧迫するので歓迎されません。)
わりと暖かな秋でしたかしら。うちの裏庭に出没するりすたちです。動きがすばやくて、デジカメで追いきれませぬ。
Monday, December 24, 2007
Merry Christmas from Frankfurt!
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